私は視力が低いのですが、視力が低いほうが得なのでは?と思うことが多々あります。
世間では視力が低いことを「目が悪い」という表現をしますが、「視力が低い人」に対する偏見だと思います。
「背が低い」=「背が悪い」とは言いませんよね。
◼️視力が低いことによって得だと感じること
①見なくていいものを見なくて済む。
②人間の体は無い物を補おうとする性質があるので、目で見えない代わりに「想像力」や「記憶力」が向上する
③「コンタクト」「メガネ」と状況に応じて使い分けることができる。
①見なくていいものを見なくて済む。
現代は情報社会で、ありとあらゆるところに情報が溢れ返っています。
自分が欲していなくても、無意識のうちに自分にとって不必要な情報が視界から入ってきてしまいます。
これは自分の人生を生きる上ではあまりよろしくありません。
現代の情報社会では、自分にとって必要な情報だけを取り入れ、不必要な情報はシャットダウンしなければならないのです。
「視力が低い」人は自動的にこの問題をクリアできているのです。
その点において「視力が低い」ということは「視力が高い」ということよりも勝っているのです。
②人間の体は無い物を補おうとする性質があるので、目で見えない代わりに「想像力」や「記憶力」が向上する
人間の体は不足している機能があると他の部位で補おうようにできています。
「視力が低い」ことによって強化される機能はパッと思いつくだけで、
1.想像力が強化される
2.記憶力が強化される
3.聴力が強化される
の3点をあげることができます。
詳しく書くまでもありませんが、視力が低いことによって視覚から得られない情報を補うために想像力や記憶力が強化されるし、5感の1つである聴力も強化されます。
視力が低くなることによって他の機能が強化されているのです。
③「コンタクト」「メガネ」と状況に応じて使い分けることができる。
視力が低い人の特権です。
ここで言う「使い分ける」とは視力を「使い分ける」という意味です。
例えば、デスクワークをしたり、本を読んだりするときには、視力は1.0もいりません。
0.3もあれば十分です。
視力が1.0もあったら返って疲れてしまいます。
近くを見るための度数の弱いメガネを掛ければ解決です。
逆にテニスなどのスポーツをするときには、1.0以上の視力が必要です。そして、広い視野も必要になってきます。
コンタクトを付ければ解決です。
物思いにふけったり、考え事に集中したいときには返って視力は邪魔になります。
視界からいらない情報が入ってくるからです。
メガネもコンタクトもつけずに、裸眼にすれば解決です。
このように、「視力が低い」ということは
現代の情報社会を生きるうえで非常に便利です。
石器時代のように獲物を遠くから発見しなければならないような時代でしたら話は別ですが、今は情報が飛び交う時代です。
「視力が低くなる」ということは、この情報社会を生きるために人類が対応するために進化しているということなのかもしれない。
と思いました。